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生徒インタビューレポート 宮路 寧々(110期)

2016/03/31

宮路寧々生徒

悩んでいましたけど、でもやってみようという気持ちがもう大きかったですね

「小さい頃はアルプスの少女ハイジに似ているって、よく言われていました(笑)。見た目もあるかもしれないですね(笑)。あと、とにかく勉強はせずに柔道ばかりしていたので、柔道の記憶しかないです。今でも時々したくなるんですよね、柔道。
(柔道は)父がやっていて、私が『やりたい』って言った小学校5年生の時はもう父はやってなかったんですけど、その時に、父も久しぶりに柔道着を着だして、少年団に入っていたんですけど、父も教える方に入ったりして、家族総出でやっていました。
柔道は小学校5年生から高校3年生までやっていました。高校3年生の時でいったん自分の中で燃え尽きちゃったところもあったので。そこでもう一回大学に入っても頑張ろうと思っていた矢先に競輪と出会ったんです」
柔道一筋だった宮地寧々。彼女がガールズケイリンを知ったのは偶然の出会いだった。
「岐阜で4月にお祭りがあって、毎年行っているんですけど、そこに岐阜支部の競輪のコーナーがあったんです。そこで初めてピストの自転車に乗ってみて、ガールズケイリンのことを知りました。それが19歳の時で、もう大学が決まっていていたんですけど。(お祭りでピストに乗ってみて)一回やった時に、今までの最高値にあとちょっとというところで届かなかったんです。もう一回やってみようかなと父に相談したら、『やってみろ』って言われて、やってみたけど、でも結局超えられなかったです。けど、記念品のタオルをもらって、今も大切に使っています(笑)。父が『そうやって、もう一回やってみたいって思うなら、興味を持ったということだから、競輪学校のことを調べたら』って言われて、それで調べました。悩んではいましたけど、でもやってみようかなという気持ちも、もう大きかったですね」

「初めて自転車に乗ったのはガールズサマーキャンプで、そこで競輪学校受けようって決めて、9月頃から岐阜競輪場に週に1回くらい行くようになりました。
(ガールズサマーキャンプの時に)ドームに見学に行って、入った途端に鳥肌が立って、私もこんなところでいつか走れるようになりたいなと思ったんです。そうするにはどうしたらいいかなと思って、それで競輪学校を受けてみようと思いました」
初めてピストレーサーに乗った時から、あっという間に学校入学まで決まっていった。

宮路寧々生徒

学校生活はだんだん慣れてきて、余裕がでてきました

「学校生活は、最初の頃はなんだか、もう訳もわからずに教えられたことをその通りにやっていたんですけど、だんだん慣れてきて、自分の心にも余裕ができてきて、あれもやってみよう、これもやってみようって訓練の中で考えることもできるようになりました。
大変だったことは、ほとんど全部なんですけど(苦笑)、一番大変だったのは周回がとりあえず苦手でしたね。今でも周回をやる前は大きな深呼吸をして集中して、意気込んで取り掛かっています」
競走訓練も私は中速からのダッシュが苦手で、33だと周回5周で、だんだんスピードが上がって行って、そこからの打鐘が鳴ってのダッシュって本当に苦手なんです。そこで一生懸命ついて、まず流れに乗るっていうのが難しいし、流れに乗っていかないと、まだまだいろいろな戦法も試せないので。流れに乗ることに集中していました」

自転車経験ゼロからのスタート、まずは、やはり自転車に慣れることが大変だったようだ。
「柔道と自転車だと力の使い方とかも全然違うし、未だに難しいところはありますね」
だが、苦手をそのままにはしていない。練習の走行記録を見ていると、いつも一番乗っていたのが宮地だった。
「まずサドルの上にいる時間を長くしようと思ってやっています。そこから慣れていくのが大事かなと思ったので」
そういうところに一生懸命さが伝わってくる。

学校生活は苦しいだけでなく、楽しいことや嬉しいこともあった。
「日常生活だと、夜の点呼が終わってからストレッチしながら、同部屋の仲間とテレビ見ながら話しているのが楽しいですね、一番。訓練だと周回でペース落とさずに引けるようになったとか、あとは追走も苦手なので、集団もがきとかでもしっかりとついていけるようになったというので、ちょっと嬉しいこともありますね」

思い出に残っていることは?
「耐久訓練ですね。本当にあれは忘れられないです(笑)。カーブを曲がって左を見たらもう壁みたいな坂があって、『ああ、これが先生が言っていた壁か』と思って、本当に腰が砕けるかと思いました(笑)。もうここが山場だっていうにも関わらず、2、3個とその壁が続いていて...。本当にあれはきつかったですね。よく乗り越えたなと思います。ロードも苦手なんで、必死に一歩一歩進んでいけばいいかなと思ってやっていました。皆で同じ目標に向かって越えられたのはすごくよかったですね」

宮路寧々生徒

目標のためにも一レース、一レースを大事にしていきたいと思います

師匠は岐阜の支部長の藤原誠選手だそうだ。
「競輪を初めて知った時のお祭りのイベントにいたのが師匠で、師匠が『ガールズケイリンあるからどう?』って言ってくれて人でした。その時は全然知らなかったんですけど、のちほど競輪場で紹介してもらった時に、どこかで見たことあるなと思って、それで知り合いました。
師匠は練習グループが朝早くて、7時からやるんですけど、朝からテンションマックスで、すごい明るくて(笑)。尊敬もできますし、いい人です。いつも電話したら本当にずっと話を聞いてくれたり、しゃべってくれたりして、優しい師匠です」
以前に、冬帰省で戻って、最後に『行ってきます』ってラインをしたんです。そしたら『力はついているからあと3ヶ月しっかり訓練頑張って』と返してくださいました。本当に嬉しかったですね!」

デビューしたらどんな選手になりたいか。
「まずは地元戦の決勝で優勝したいです。そのためにも一レース、一レース大事にしていくことが目標ですね。本当に地元は絶対優勝することが目標ですね」

柔道をやっていた時にどんな選手だったのかを話してもらったが、それが一番宮地がどんな性格か表れているのではないだろうか。
「高校には柔道部があり、他の高校に出稽古に行っていたんです。そこは男子ばっかりだったので、勝てないのはわかっているんですけど...、勝てないとコソッと一人で更衣室に逃げて泣いて、すっきりさせてまた戻るっていうのを繰り返していました。先生にバレないように(笑)。自分は、これが負けず嫌いだとは思ってなかったので、母に『あんた負けず嫌いだよね』って言われて、『あぁ、そうなんだ』って。そういうのに気づくのも鈍感なんですよね(笑)。先生にも怒られながら、ずっとつきっきりで教えてもらって一ヶ月くらい終わった後に、やっと一つのことが出来るとかだったので。目先のことはわからないですけど、今の頑張りは3ヶ月後っていう言葉があるので、それを信じて頑張っています!」

「確実に一歩一歩強くなって、今は『何だ、こいつ』と思われても、将来は『あんなに弱かったのにこんなにも強くなったんだ』と思われるくらい、強くなりたいと思います。応援よろしくお願いします」
一歩一歩を力強く言っていた宮地、目標のため頑張って欲しい。

宮路寧々生徒