プロデビューを目指す競輪学校生徒サイト

生徒インタビューリポート 篠塚奈知編

2014/02/02

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スピードインラインスケート

        「自分の足ですごいスピードを出せるところと、人とそのスピードを競うところに魅了されました」。一見すると、ケイリンの魅力にも似ている部分があるが、そうではない。篠塚が小学校低学年から24歳まで競技生活を送っていたスポーツ、それが「スピードインラインスケート」だった。
「公園を挟んで自宅の前にローラースケート場があったんです。そのときローラースケートが流行っていたのもあって、ちょうど家の前にもあったので、遊び感覚でちょいちょいとやりにいっていたら、どんどんのめり込んでいきました」

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日本女子ナンバーワン

才能は一気に開花した。13歳でジュニア部門を優勝、14歳で日本記録をマークすると、15歳では全日本選手権で総合優勝を果たし、日本女子ナンバーワンの称号を手に入れた。その後も、トラック5種目、ロード7種目の全12種目で日本記録を樹立するなど、トップ選手として第一線で活躍した。純粋な楽しさがあった、勝利の喜びがあった。                                                                 だが、それと同時に現実的な問題にも直面していた。寂しげに、視線を落とした。

「インラインは、とにかく楽しくて、辞める日が来るなんて思わないくらいでした。でもマイナーなスポーツですから、23歳、24歳にもなってもお金が稼げなかったし、プロチームにも入れない。生きていけないから、ずっと親のすねかじりだったんです。それで、これといった目標をまず決めて、それができても、できなくても、そこで辞めようと決めたんです。最後の2年間は、その目標に向かって絶対に結果を出そうと思って取り組みました」

ただ幸せなだけ!

その目標は世界選手権でのメダル獲得だった。2010年にコロンビア・グエルネで開催された「世界ローラースケートスピード選手権大会」。強い決意のもと出場した篠塚は10000mで見事に銀メダルを獲得した。「世界でもメダルを獲れたので、スッパリ辞めることができました。もちろんインラインスケートが嫌いで辞めたわけではないので、まだ好きですけど、このまま続けられる感じではなかったので…。

私は全部が自費でしたけど、どこの国にも自費の人なんていなかったですね。メダルを獲ったときも、いろんな国の方が褒めてくれました。『いくらもらえるの?』『家が買えるでしょ?』とか。勝っても1円ももらえないので、『ただ幸せなだけ!』と言ったら、大爆笑してましたけどね(笑)」 

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2011年に惜しまれながらも引退。しばらくは親の事業を手伝いながら過ごしていたが、同時期にガールズケイリンが復活した。当然、篠塚の耳にもそのニュースは届いていた。心に、再び火が灯った。

「スポーツをやって、プロを目指せて、お金ももらえる。そんな世界があるなら、チャレンジしたいと思いました。ガールズケイリンを知ったのは、前の競技でもトレーニングでロードの自転車に乗っていたので、自転車屋さんに聞いたりして。それに周りの人も教えてくれました。私は姉と弟がいる3兄弟ですが、スポーツをやっていたのが私だけ。親もそういうのが嬉しかったみたいで、ガールズケイリンの話をすると、応援したいと賛成してくれました」

  そしてインラインスケートが結んでくれた縁ともいえるだろうか。働いていたスケート場で、師匠である和泉田喜一との出会いがあった。「良い人に巡り合えました」。師匠の話題になると、ひときわ声のトーンが上がる。現在46歳の大ベテランながら今なおS級1班として活躍し続ける師匠の姿、そして人柄に心酔している。

「師匠の子供とかが遊びに来ていて、その送り迎えで師匠も来ていたんです。それで、私と同じスポーツやっていた人(山本紳貴)が先に辞めて、競輪を目指したんですよ。そのときにちょうど師匠と知り合いだったので、『面倒を見てください』と言うのを、私は最初見ていたんです。それから、練習に行くところとかを見たり、話を聞いたりして、ガールズケイリンがあるのも知っていましたし、『ああ、楽しそうだ!』と思って、私も一緒にやらせてもらいました。師匠は最初、弟子はとらないということだったんですけど、しばらくしてから師匠が『弟子が~』と言い出していたらしく、『弟子がOKになったぽい!』と(笑)。それで私も行って、すんなりと弟子入りをOKしてもらいました。師匠みたいに、ちゃんと練習して、良い人になって、それで競走で結果を出せる人になりたいと思っています」                                                                                                                                                                                                                                                                   

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レースを見るのが大好きで、大好きで

尊敬する師匠の存在とともに、「レースを見るのが大好きで、大好きで」というほど研究熱心。そして競輪を知れば知るほど、自身が目指すスタイルと、一世を風靡した師匠の戦法がリンクし始めている。

「みんなが(師匠を)すごい人だと言ってくれますけど、『俺なんて全然大したことない』と言うんです。でも師匠の先行はすごかったと聞きますし、それで私も先行したいと思っています。早めに早めに自分から動いて先行して、結果を出せるようになりたい。学校でできないことはプロになってもできないと思うので、学校でそういう勇気もつけていきたいと思っていますが…今のところはまだ、ダメです。動きたい気持ちはあるんですけど、先々に動いてもスピードが速い人には一瞬で捲られちゃうし、いろいろ考えながらやっていると、考えすぎて、毎回レースが小さくなってしまうんです。考えるほどの脚もまだないんですけどね…。ウエイトも前からやっていたんですけど、下半身に比べて上半身が課題で、バランスが悪いんです。自転車を始めて、上半身ってこんなに大切なんだと思いました。スケートと自転車はよく筋肉が似ていると言われてますけど、私は長距離をやっていたので、全然違いましたね。ケイリンはどちらかというと短距離、瞬発力、スプリント。今までは逆のことをやっていたので、かなり大変です。ずっと長く乗っているのは好きで、それは出来るんですけど、バッとスピードを出すとか、そういうことがまだ全然できていないので、ちょっときついですね。でも、今はまったくやったことがないことにチャレンジしているので、ちょっとでも何かが掴めたときは面白いです」

今は乗るしかないんです

 もちろん練習でロードを乗っていたとはいえ、本格的なケイリンは初挑戦だ。まだ手探りの部分もあり、競走訓練でも苦戦が続いている。「不安が募ってきます」と今の心境を語るが、勝負の世界で生きることを決めた以上、ゴールを目指して前進するのみだ。

「インラインスケートは駆け引きのスポーツと言われるんですけど、一緒にやっていた人に、『お前は選手のときも全然駆け引きをしてなかったよ』と言われました(苦笑)。考えてやるようなレースをあまりしてなかったので、まだ考える力もないというか…。今はまだ学校のプロフィール用アンケートにある戦法の欄も、自分がどれにあてはまるか、今の自分にマークをつけられないんです。でも自分にあっているかどうかは分からないですけど、先行選手に憧れてますし、気持ちは先行したいんです。できる、できていない、何ができていない、そういうレベルにまでまだいってないと思うので、今は乗るしかないんです。卒業したら、師匠も(練習を)見てくれると言っていくれたので、まとわりついて(笑)、いろいろ教えてもらおうと思います」

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 インラインスケート時代からの良きパートナーである山本紳貴も107期で競輪学校に合格した。これからも師匠とともに、切磋琢磨が続いていくだろう。
「賭けたいなと思っていただける積極的なレースをしたいと思いますので、ぜひ見てください!」
 自らの足で、再び第2の人生を回しはじめた。バンクを駆ける姿に、未来を重ねて。