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生徒インタビューリポート第2弾 石井貴子編

2013/12/05

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仕事帰りのサラリーマンでごった返す満員電車に、石井貴子も揺られていた。大学を卒業して、社会人となった。労働の対価として給料を得て、生活していく。その当たり前の社会サイクルに納得はしていたはずだったが、心のどこかに捨てきれない夢もあった。そんなとき、目に飛び込んできたのが、ガールズケイリンの広告だった。決断までに「0.1秒かからなかったです」という。

「会社帰りで、ボロボロとスーツも着崩れていて、ギュウギュウ詰めの電車の中でボーっとしていたときに、雷に打たれたみたいでした。『あっ、競輪だ』と。もうその瞬間に、受験要項のことを調べていましたね。私はもともと、違うスポーツをやっていたんですけど、一期生の立ち上げの時のガールズサマーキャンプで、ガールズケイリンの復活は知っていました。もともと興味自体はあったんですけど、そのときは自分が競輪をするというほどではありませんでした。大学卒業と同時にスキーを止めて、一回就職をして、働き始めたときに、前のスポーツでやり切れなかった部分があって、ひっかかっていたんだと思います」

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まさに「スキー漬け」の毎日だった。

 就職するまでは、まさに「スキー漬け」の毎日だった。スキー好きの両親の影響もあり、幼稚園の頃からアルペンスキーの大会にも連れて行ってもらっており、小学生の時からレースにも参加。地元は岐阜県だったので、雪が降らないため毎回が遠征。国内だけにとどまらず、スキーの本場であるヨーロッパをはじめとする海外にも参戦していた。

「最初はゲレンデを走り回っているだけだったのに、あるときから『今日からスキーをやる!』と言い始めたみたいで(笑)。小学校の時に初めてレースに出て、大学を4月に卒業するのに、3月27日まで試合に出ていました。ヨーロッパにも遠征しましたが、そこは本当に両親の力。高校を出て、本当はヨーロッパに留学したいと思った時もあったんですけど…」

 大好きなスキーだったが、競技生活はケガの連続だったのだ。悲しげな眼差しで、当時を振り返る。
「本当にケガが多くて、膝のケガだけで3回くらい手術していて…。中学の終わりくらいからケガを定期的にやってしまったので、やりきれませんでした。転倒して靭帯を切ったりとか、手術しないと復帰できないので入院したり…。スキーをやっていたときは365日痛いのが当たり前でしたね。留学をしたいと思っていたのに、そのタイミングでもケガをしてしまって…それで早稲田大学に進学することにしました。でも、大学最後に全日本選手権に出たとき、滑り終わった後も、何というか…やりきったとか、良かったとか、ありがとうという気持ちに全くなれなかったんです。多くの同期生は、晴れ晴れと辞めていくんですけど、『私は何をしてきたんだろう』と思ってしまって、ポッカリと穴が開いた感じでした。みんなヨーロッパで活躍したいと思ってスキーをやるんですけど、そうやってできるのは一握り以下という状況。そこに届かなかったのが、厳しかったです。『いいものを持っているね』と言われて続けても、ただそれだけ。発揮できなかった、変えられなかった、そこに悔いがありました」

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実は、私、競輪選手になるわ

「すぐ4月に社会人になったんですけど、働かせてもらう環境があるのはすごくありがたいし、それに一生懸命になれるんだったら、お給料ももらえるし、素晴らしいことだと思いました。でも、申し訳ないですけど、仕事に対して目標や、24時間を費やせる情熱がたぶん無かったんです。初めてで分からなかったので、仕事はこういうものなのかなと思っていましたが」。右も左も分からないままではあったが社会人となり千葉県・我孫子市での生活が始まった。悶々としたまま日々が流れていく―。そんな中で、運命的に出会ったのがガールズケイリンだったのだ。「つてもないので、なんとか探して、探して、いろんな人に聞きました。それで大学のときにウエイトトレーニングのお世話になったトレーナーの知り合いの、知り合いくらいに選手会を知っている方がいて、そこで出会ったのが師匠である支部長の篠田宗克さんでした」

 だが、越えなくてはいけない壁はまだある。それが両親への報告だった。スキーで多くの心配をかけてきたことがあっただけに、再び勝負の世界へ踏み入ることを告げるのに、勇気が必要だった。   

「伝えたのは、師匠と練習を始めて、カーボンのフレームも届いて、2カ月くらい経った時だったんです。最初は父に、スポーツに関しては反対をしないタイプだし、自転車も好きだったので、ちょっと軽いノリで、電話で言ったんですよ。『実は、私、競輪選手になるわ』って(笑)。サマーキャンプに応募したことも知っていたので、父は『そうなると思っていた』と心配そうでしたが言ってくれました。でも、それを父から聞いた母は『なんで相談してくれないんだ』と怒って、弁解するのが大変でした。ただ、もう自分で決めたことだし、申し訳ないけど、自分でやっていくと。ヨーロッパから車イスで帰ってきたことがあったくらい危険なスポーツをずっとやってきて、一人娘のくせに体中傷だらけになって、ようやくスキーが終わって就職したと思ったら、また競輪と。最初は抵抗があったものでしたが、母も一週間後に、松戸競輪場まで練習を見に来てきて、全部理解してくれました。『反対はしない、自分で決めたことならやりなさい』と」

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東京オリンピックを目指して

 自転車が、石井に新たな目標を与えてくれた。動き出した時計は、もう止まらない。ガールズケイリンの3期生として、日々の練習に精を出す中、10月・立川競輪場で開催された国民体育大会のエキシビション女子チームスプリントでは、小林優香と組んで56秒333の日本新記録を樹立した。夢は、どんどん広がっていく―。

「ボンヤリしてしまっていた毎日に、目標や夢とか、毎日、課題をもらえるものが飛び込んできて、すごくイキイキしていたと思います。今は、目標も夢もいっぱいあるんです(笑)。まずはガールズケイリンで、誰にも負けたくない、負けない選手になること。一番になりたいです。それと、競技もやらせてもらう環境にあるので、競技ではオリンピックでメダルを獲ることを目標にしています。でも、まだ自転車に乗り始めて1年ちょっとで初心者の域をまだ出ていないですし、脚力も技術も戦術も、まだまだ未熟。オリンピックに向けても、練習するしかないですね。スタンディングが得意なのが強みではあるんですけど、世界のトップは女子でも250のバンクの1周の入りは18秒台、男子とあまり変わらないんですよね。この前、私が測ったときは20秒前半。せめて19秒、中盤くらいでは学校にいる間に走れるようにしてと思います。リオにも出たいけど、東京オリンピックを目指して、そのためにも早め早めにやっていきたいです」

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自転車に自分の人生を全部あげるから!

 またこうして世界と戦える、目指せる環境にあることを心から感謝している。外見からはクールな印象を受けるが、一つ一つ、丁寧に選びながら発せられるその言葉からは、とても熱く、そして揺るぎない信念が感じられる。幾多の困難を経験してきた、だからこそ自転車にかける思いも人一倍大きいのだ。

「スキーでは、ケガのこともそうですし、自分の甘さもあったと思います。ケガを何回も繰り返したというのもあるし、目標があったとしても、その目標を他人に伝えたり、自分はこうなりますと宣言したりする姿勢が自分には足りなくて…。あのときは自分のことを話すのがすごく嫌いで、そうした気持ちの弱さが全部出てしまったんだと思います。でも、今はいつの間にか、人生の目標が自転車の目標になっていて、『自転車に自分の人生を全部あげるから!』と思っています。自分の夢や目標が叶うように、今度は悔しい思いをしなくていいように、しっかり自分の花を咲かせることが目標ですね」