プロデビューを目指す競輪学校生徒サイト

『2年越しのデビューへ。全身全霊。スポーツ紙の一面を飾る~奈良岡彩子』

2013/03/27

1-20130315_G4C4114.jpg

力のある目である。
二重瞼の下の奈良岡彩子の目は、どこかソフトボールの北京五輪金メダル投手、上野由岐子のそれに似ている。根っからの負けん気。強い意志を感じさせるのだ。
23歳。奈良岡は八重歯を見せて、少し笑った。本音を漏らす。
「やっと卒業できるな、という気分です。まさか2年もやるとは…」
実は奈良岡は一期生として入校し、ある事情で一昨年12月に学校を離れた。いわば青春の蹉跌である。確かに一度は心が折れそうになった。でも、周りの応援が力となった。
奈良岡は1年目の冬に学校を離れる際、一期生の同僚、加瀬加奈子のコトバを忘れない。「何があっても、絶対戻ってこいよ」と。
奈良岡は再チャレンジした。再び二期生として1年間、訓練に励んできた。つまりは、2年越しの学校卒業となる。
「ポジティブに考えれば、いい経験をさせてもらいました。ありがたいな、という気持ちが大きいです」
奈良岡は体力テストによる適正入試で合格した。それまではソフトボールの日本のトップクラスの選手だった。ルネサス高崎(現ルネサスエレクトロニクス高崎)のメンバーとして、全日本総合で2連覇を果たした。上野のチームメイトだった。
運動神経には自信があった。とくに瞬発力。でも1年目は自転車のことはまだよくわからなかった。無我夢中だった。が、2年目になって、ペダルへの力の伝え方、自転車のメカニズムが少しずつ見えてきた。
「1年目はいいタイムが出ても、“あっ、出たんだ”くらいで、正直、なぜいいタイムになったのかわからなかった。“ギア比”って何ですか? の世界です」
でも2年目は違った。教官が言っていることが理解できる。
「1年目と同じタイムでも、こう走ったから、このタイムになったんだな、とわかる。ちゃんと考えながら自転車に乗れている感じなんです」
奈良岡のひたむきな練習姿勢には定評がある。ペース配分をあまり考えず、力を温存することもない。モットーが『全身全霊』。3月某日の練習をのぞけば、ダッシュ練習で力を振り絞り、途中で競技場の隅でおう吐していた。
「大丈夫か」と教官から言われると、「はい」と返事して自転車にまたがる。今度はあきらめない。くじけない。からだの奥底から発散される天然の活力、覇気。
白い手袋には青字でこう書かれていた。左の甲に『執念』、右の甲には『根性』。

ソフト時代から、ケイリン選手みたいな脚だナと言われて。10年はやる。

青森県出身。
子どもの頃から運動神経がよかった。小学校の時にソフトボールを初め、中学校の時にはソフトボール部がなかったのでバトミントン部に入った。弘前実業高校ではソフト部。
俊足で鳴らし、50㍍は6秒台で走った。「目立ちたがり屋でした」と奈良岡は述懐する。冗談口調で続ける。
「自分はどこでも通用すると思っていました。田舎にうずくまるヤツじゃないって」
2008年、日本トップのルネサス高崎のソフトボール部に入った。代走での試合出場が多かった。ならば、代走で目立ってやると心に決めていた。「あいつが出てきたら嫌だな」と相手チームに思われるよう、自分で研究、努力し、走塁技術を磨いた。
そういえば、ソフト時代から、たくましい足を見られては、よく「奈良岡、ケイリン選手みたいな足だナ」と言われていた。

2-20130315_K0C2562.jpg

2010年12月、チームスポーツの難しさを味わい、ソフトを辞めることを決意した。時々世話になっていた著名なトレーナーの人に引退の報告をしたら、「まだスポーツを辞めるのははやい。自分のからだで稼いでみたらどうなのだ」とハッパをかけられた。
奈良岡の高い運動能力を評価していたからだろう。突如、ケイリン選手とプロゴルファー、どちらがいいかと迫られた。ソフトほどケイリンを好きではなかったけれど、結局、プロのケイリン選手を選んだ。
「いまガールズケイリンが始まるからって。トレーナーの先生が、“おれ、ケイリンに知り合いがいるから電話してやる”って。そうしたら、“競輪学校の願書、明日までらしいぞ、すぐ出せ”って言われて、“はいっ”みたいな」
人生とは縁である。めぐり合わせである。そうやって、奈良岡はケイリンの世界に足を踏み入れた。やる時はやる。その際、トレーナーと約束したのが、「10年はやる」だった。
試行錯誤が続く。3月上旬のトーナメント競走では優勝した。でもその後の記録会のタイムが悪く、エリート教場からひとつ、レベルが落ちた。
「トーナメントの出来はたまたまですよ、たまたま。これまで2回くらい、先行で逃げ切れたかな。少しは粘り強くなっているのかな、と感じています」
だがケイリンは奥が深い。序盤から先行しても、最後まで力が続かない。ただ目の前の課題に全力をかける。
「何年後とか、遠い目標がなかなかもてなくて。常に近場の目標を立て、はい、クリア、はい、クリアっていくタイプなんです。あまりに遠い上の人を見すぎちゃうと、足元の土台がしっかりしないので」
だから、一歩一歩、目の前のターゲットをクリアしていく。大相撲でいえば、1つひとつ番付を上げ、最高位の横綱の座に上がっていくイメージか。
「気が付いたら横綱になっていた。そんなところです」
ついでにいえば、4年前、羽田空港で横綱白鵬に遭遇したことがある。頼んで握手をしてもらった。
「メチャ、手がでかかった。横綱。グランドチャンピオン、響きがいいですね」
自分もオンリーワンになりたい。勝っても負けても、目指すは「目立つ選手」である。「むちゃな走りをするな」と思われてもいい。先行勝負でファンを沸かせたい。
「堅実に勝つ選手より、あいす何かするよな、と言われたい。ちょっと競輪場に見に行こうと思われるような選手になりたい」
高校の先輩に大相撲の高見盛(引退)がいる。取り組み前の派手なパフォーマンスは人気を博した。
「私も出走前に両腕でバチン、バチンを気合いを入れようかな。“おっ、あいつやばいぞ”“何かやっている”って目立つでしょ。ははは。冗談です」
屈託のない笑顔。天然の元気が羨ましくなる。一期生で先行選手といえば、加瀬だろう。成功イメージが膨らむ。
「イメージは、とりあえず、加瀬さんが先行するだろうと言われていたのに、私が先に行っちゃうのです。“すいません、加瀬さん、先に行っちゃいます”みたいな。ははは」

金色のだるまに願いを

ことし正月。
人生の師として尊敬するソフトボールの宇津木妙子さんから金色のだるまを贈られた。高崎のルネサス高崎に入社したとき、ソフトボール部の総監督だった。
いつも事あるごとに叱咤激励をもらう。携帯電話で話をする時は、いまでも緊張で手汗がぶわっと噴き出す。
だるまは、いつも必勝祈願していた高崎神社のものだった。
「赤色じゃなく、金色のだるまですよ。もう、びっくりしました。ほんと、(宇津木妙子)監督は大きい人だと思います」
心を静め、願をかけながら、一つの目を黒く塗った。けがをしないよう、周りに感謝しながら、がんばります…。
だるまは実家の祖父の仏壇の横に鎮座しているそうだ。
「いろんなことがあったけれど…。神様、ありがとうございます。そう、つくづく思います」

3-20130315_K0C2645.jpg

年に賞金一億円。じょっぱりで。

花粉症がひどい。
ティッシュで鼻をかみ過ぎて、鼻の頭が少し赤みを帯びている。
趣味が料理とドライブ。好きな音楽が「AI」。プロ野球が大好きで、巨人のいぶし銀の松本哲也のファンである。
「昔、松本さんに似ていると言われた時期があったので…。プロ野球に関しては、男子も女子も引くぐらいです」
好物が「りんご」と「白米」。ごはんである。
「ごはんがメチャ好きなんです。ごはんがあれば、おかずはあまり要らない。納豆でもあれば」
一期生、二期生、両方の生徒と一緒に生活した。今日の友は明日の敵。互いに切磋琢磨し、ガールズケイリンの活況を目指す。
「一期とニ期、全然キャラが違います。1期はわいわいがやがや、ニ期は仲がよくてほわほわしている感じだけど、訓練になると目の色ががらりと変わります」
だれもがガールズケイリンを盛んにしたいとの思いを抱いている。目標が、ケイリンで生計を立てられるようにすること。
「年に1億円ぐらい稼げたらサイコーですね。じょっぱりでがんばります」
じょっぱりとは、津軽弁で頑固者のこと。
夢は?と問えば、奈良岡はとびきりの笑顔をつくった。
「ガールズケイリンがスポーツ紙の一面を連日、飾るようにすることです」
いいなあ。こちらが、なんだか楽しい気分になる。一直線の元気でペダルをこぐ。
夢に向かってー。