プロデビューを目指す競輪学校生徒サイト

『自転車大好き。自然体で夢を紡ぐ~矢野光世』

2013/03/21

天気がいいせいか、山から鳥のさえずりが聞こえてきた。風もやわらぎ、どこか春のにおいを感じる。
2月某日。1周400㍍の「400ピスト」を訪ねれば、女子生徒がスタンディングのスタート練習に取り組んでいた。
教官の声が飛ぶ。
「ほら、体幹が弱いから横に触れるんだ~」
ただ一人、サングラスを付けていない矢野光世が「はいっ」と返事をする。光世は「てるよ」と読む。
もう一度。号砲と同時にからだを前に押し出し、まず右足でペダルに体重をのせる。反動とスピード、タイミング、バランス。スタートは技術である。難しい。滝澤正光校長からも、体重の移動のアドバイスをもらう。
練習後、矢野は本音を漏らした。
「自分はスタンディング、上手ではないので…。自転車を前に出すというか、からだと一緒に前に出るのが難しいですね。一回、からだをひくんですよ。そして、前にバンと出して、踏み込むんですけど。最初の一歩を意識し過ぎると、踏み込んだはいいけれど、左足をひくのが遅れて…」

1-20130222_U7C4965.jpg

福岡出身。博多弁のイントネーションについ、好感を抱く。ゆっくりした素朴な語り。22歳は春風のように柔らかく笑う。
「全然、(技術を)マスターできていない。自転車の競技をしていたわけじゃないので。教官が言っていることの意味がわからなかったんですけど、最近、理解できるようになりました。やっとで、わかるレベルになったんですかね。ふふふ」
愛嬌ある八重歯がのぞく。チャームポイントですか、と問えば、即座に否定した。
「そうじゃないです。歯が磨きにくいんです。ははは。歯ブラシ、タテに使わないといけませんから」

 メッセンジャーに憧れて

自転車が大好きである。
「たぶん同期で一番、自転車が好きだと思います」
自転車との出会いは、小学校4年の時だった。草なぎ剛主演の「メッセンジャー」という映画を観た。メッセンジャーとは、宅配のバイク便の自転車版である。草なぎの乗る自転車、トレックのMTBが評判となった。
「映画を見て、自転車がめちゃくちゃカッコよかった。自転車が好きになりました。いつかママチャリじゃない自転車に乗りたいなあ、って思ったのです」
普通の自転車に乗りながらも、競技用バイクへのあこがれは抱き続けた。博多工高では部活に入らず、「帰宅部」だったという。3年生の夏、自宅近くの自転車屋にステキなロードバイクを見つけた。値段を見たら、「1万9千円」だった。そう見えた。
「どうしても欲しくなって、自転車屋に買いに行った。そしたら、値段が19万円だったんです。ははは。もうびっくりして…。仕方なく、近くにあった3、4万円のクロスバイクを買いました」
そのクロスバイクで遠出をするようになった。山沿いの自宅から、糸島半島のところまで一人で疾走する。とくに海岸沿いの信号機の少ない道を走るのが好きだった。
「そこから自転車を本格的に始めた感じです。最初は、自転車をなめていました。遠くに行きすぎて、死にそうになりながら帰ってきていました。だんだん、そっから自転車にはまっちゃって」

2-20130222_G4C1906.jpg

高校を卒業して、地元の中村調理製菓専門学校に入った。調理師の勉強をしながら、自転車の市民大会に出るようになる。卒業後、メッセンジャーのアルバイトを始めた。
「就職しようかなと思ったんですけれど、自転車が好きだったので。趣味と実益を考えて、映画で見ていたメッセンジャーになったんです。まさか、自分がその仕事をすることになるとは…」
人生はかくも不思議である。だからオモシロい。でもメッセンジャーの仕事はつらかった。顔をしかめて、小声でもらす。
「メッセンジャーの仕事と比べると、競輪学校の訓練は思っていたほど大変ではなかった」
メッセンジャーとして福岡県内を自転車で走り回った。得意先で注文をとり、荷物を届け先に運ぶ。バイク便と違い、自分の力でペダルをこぐ。長い時には20㌔離れたところまでいった。朝から夜まで、一日で100㌔ほど走ることもあった。
「雨が降ろうが、雷が鳴ろうが、雪が降ろうが、どんな時でも走らないといけない。無線機持って、注文してきたお得意さんのところにいって…。伝票を見て、地図を取り出して、このビルだとか突き止めないといけない。最初は全然、道がわらからなくて…」
正社員でなく、アルバイトだったこともあり、賃金は安かった。ただ自転車に乗ることはできた。足腰が強くなり、脚力もついた。
「心身ともにタフになりました」
競輪学校の1回生の時は迷ったけれど、この2回生の時には入学願書を提出した。昨年3月、メッセンジャーのバイトは辞め、学校に入学した。ホームが久留米競輪場、師匠は藤田剣次(85期)。
「入校動機は、自分の力がどこまで通用するか知りたかったからです」

先輩、同期をおびやかす存在に

尊敬する人物が、自転車世界一周に挑戦中の「小口良平さん」という。趣味が映画、演劇、ミュージカル鑑賞。手先が器用なのだろう、ブログに登場する絵はかなりの腕前である。
クレヨンしんちゃん、室伏広治の似顔絵は実によく似ている。
「自慢じゃないですよ、自慢じゃ。小学校、中学校の通信簿では、体育は2か3でしたけど、美術はずっと5でした。まさかプロスポーツ選手を目指すとは思ってもいませんでした」
目標はガールズグランプリ制覇。競輪学校の校舎の廊下にはってある選手紹介ポスターの目標欄にはこう、書いてあった。

<先輩方をおびやかすような存在になり、先行して1周半逃げ切れるような選手になる>

その目標欄を持ち出せば、矢野は深いため息をついた。
「ちょっと大きいこと言い過ぎました。そう思ったんですけれど、今の脚力ではちょっと…。でもこうなったら、もう先行するしかないですね」

3-20130222_U7C4904.jpg

実家は福岡の油山のふもとで、ソフトボールの上野由岐子さんの実家の近くである。誕生日が平成3年3月3日。並びがいい。
「競輪的にはよくないですね。3着、3着できて、決勝も3着って」
いや、333のカブの大逆転ともとれる。好きな言葉を聞くと、しばし考え込んだ。ぼそっと漏らす。
「なんでしょ。なんというか、“楽しんだもの勝ち”というか。“エンジョイ”というか。いや、ちょっと待ってください」
この独特のキャラは何だろう。ほのぼのした空気が漂う。
「じゃ、自然体という言葉でいきましょ」
好きな食べ物が「豚足」。得意料理が「皮から作るギョウザ」という。
では夢は、と問えば、「夢をつくること」と笑う。
「ははは。夢をつくることが夢。ビミョー(笑)」
なんだか愉快な八重歯のテルさん。自然体で独自の世界をつくっていくのである。