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『練習して、強くなる ~滝澤正光校長編⑤~』

2013/03/18

負けて学ぶ。

もちろん、「勝って反省」が理想ではあろう。だが人間、いつかは負ける。とくに競輪選手の場合、しょっちゅう負ける。
そこでどうするのか。一流になれるかどうかの分岐点はやはり、負けから学べるかどうかである。
言うは易く行うは難し。百戦錬磨の滝澤正光校長に勝負哲学を続けて話してもらった。

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世界の中野も実は努力家

―諦めない限り、負けはないのですか。
「競輪のレースはオリンピックみたいに4年に一回ではありません。年間、100レースぐらいやっていましたから。負けても、よしっ、次、よしっ、次と思っていけばいいんです。わたしは競輪学校の時はダメで、卒業してから半年も鳴かず飛ばずでした。でも少しずつ、うまくかみ合うようになっていった。うまく力がついていったと思います。もちろん、その都度、壁はありましたけど」

―力を付けたあとはどうなるのですか。
「S級や特別競輪に出るくらいの力を付けた時でも、そこですぐ勝ったわけではありません。出りゃ負け、出りゃ負けです。当時は中野(浩一)さんが君臨していましたから。あの牙城はなかなか崩せませんでした。今だに、崩したとは思っていません」

―九州の雄、中野浩一さんですか。世界選手権10連覇。抜群の強さだったんですね。天才肌だったんですか。
「実は大変な努力家なんです。中野さんと一緒に世界選手権も3回くらいいかせてもらったんですが、時間の使い方がすごくうまかったですね。移動の関係で、あと5分、10分はバンク練習ができますよ、となると、ぱぱっと降りて練習をするのです。少ない時間でも、うまく見つけ出して、練習するのがすごかった。自分はどちらかというと、はい、これだけの時間がありますよ、どうぞ、と言われて、よし、やるぞ、といった感じでした。どちらかというと、長乗りが好きだったので。そういった意味で、中野さんと一緒に世界選手権にいかせてもらって、勉強になりましたね。
おれも中野さんは練習をあまりしない天才肌だと思っていました。でも、そんなことはなくて、地道に練習している姿をマジカで見られたのはよかったと思います。当時は、世界選手権まで一カ月くらい、合宿、合宿だったんです」

打倒!中野浩一
 猛練習ありきの劇画人生中野浩一 猛練 猛

―中野さんに対するライバル心は相当だったそうですね。
「テレビの取材でよく言いましたけれど、自分が競輪学校を出てすぐの頃、中野さんは超トップスターでした。なのに、打倒!中野さんに燃えたのです。筋トレのベンチプレスの台があったんですが、その台の裏に“打倒!中野浩一”と書いていました。いつか中野浩一さんに勝つと燃えていたわけです。ははは。まだデビュー直後のB級ぐらいの時です。そのへんのペイペイが、天下の中野さんを倒すというわけですから。まさに劇画の世界です」

―競輪学校の時、練習日誌の裏に書いた“特別競輪制覇”と同じ発想ですね。
「おれのそばに吉井(秀仁)さんという人がいたんです。その人が“打倒!中野浩一”に命をかけていた人だから、もうおれに移ちゃって。見るものすべて、中野さんですよ。道路で前を走っている車が中野さんに見えたりして…。ははは。それはオーバーですけど、ま、そんな世界ですよ、もう笑ってしまいますよ」

―それって劇画になりますね。
「だから、漫画になりました。“もがけ!百万馬力”というタイトルの漫画(秋田書房)に」

―えっ。なったんですか。
「あるんですよ。お貸ししましょうか。おれ、持っていますから。ただ主人公の顔がちょっとカッコよすぎるんです。目がクリっとして。おれと全然違うんですよ。笑ってしまいます。ちょっと誇張表現もあります。でも大筋、事実にそっています。もうおれの人生、劇画人生なんです」

―劇画人生というと。
「だからね、なんと言うか。あの頃は柔道一直線の鉄ゲタや地獄車がはやれば、さすがに買わなかったけれど、興味はありました。あと空手バカ一代の山籠もりとか。あしたのジョーの泪橋、巨人の星の大リーグ養成ギブスとか…。あの劇画の世界にどっぷりだもの。養成ギブスはなかったけれど、エキスパンダーは買いました。ボディビルダーのトレーニング用みたいなぐにゃっと曲げる棒みたいなものも買いました。一番、スイッチが入るのは、猛練習という言葉です。あの言葉に弱いんです。猛練習とか、鬼監督、山籠もり…。もう目がウルウルしてしまう。自分の琴線に触れるんです」

―確かに我ら劇画世代、猛練習や山籠もりという言葉には甘美な響きがありました。少年の心を刺激します。
「猛練習っていいでしょ。だからしょっちゅう、合宿にいったんです。若い頃、富士山に合宿にいきました。朝起きて、登って降りてくる、だいたい1時間ぐらいのコースを走って、朝飯を食べて、今度は富士山の一周コースにでかけるんです。ざっと120㌔、130㌔ありました。登りがきついから、朝9時頃からいくと、夕方の5時頃までかかってしまう。帰ってきて、風呂入って、晩飯を食べて、みんな寝るわけじゃないですか。でもサプライズじゃないけど、おれは人が驚くことをしたいから、よしっ、いまから練習にいくぞっと言うんです。そしたら、みんな、びっくりして」

―そりゃそうでしょ。
「ははは。もう8時半ですよ。そう言われるわけです。そしたら、ばかやろー、これから夜練だって言って、始めてしまう。ざっと1時間半くらいのコースに出ました。もう外は真っ暗です。前が見えない。だれか車で誘導してくれって頼んで、ライトで道を照らしながらいってきました。夜10時半ぐらい、やっと練習が終わるのです。
とにかく、人が驚くことが好きなんです。これでもう、練習が終わりだと思っているところで、練習にいくぞ、と言うと、えーとくるでしょ。レースで早駆けして、驚かすのと原理は一緒なんです」

―頑健なからだがあればこそでしょうが、アスリートとしてはいい性格ですね。
「一日中、自転車に乗ることが大事だと思っていました。自分も弱いから、人に“練習にいくぞ”ということで自分にも言い聞かせていたのです。20代半ばが一番自転車に乗れていました。ほとんど家にいなかった。レースの合間も合宿、合宿で…。
立川のグランプリが終わって、すぐ富士山の合宿にいったこともあります。大晦日から元旦、2日と山籠もりですよ。ははは、山籠もりという言葉が好きだったんです。すごく寒かった。寒過ぎて、民宿の戸が凍って開かないんです。寒くて、寒くて。道も凍っていた。凍っている道って、登っている分にはまだいいけれど、下りは滑ってしまうんです。だから練習にはなりませんでした。でも、富士山にいってしまう。山籠もりとか、猛練習という言葉が好きだから。それも一人で」

―もう常識では測り知れない世界ですね。危なくなかったですか。
「それは危ないですよ。こんな冬の山の中で練習しているやつなんかいないですよ。その他でも、台風の中で練習にいったりしたこともある。なんで、こんな雨の中で走るのだ、と周りに言われるのが好きなんです。
自分の信念として、練習しないと強くなれないというのがあったんです。練習して強くなれって。練習しなくて、ある日突然、強くなることなんかありえない。練習を積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて、変化すること、進化することがあってもね。そこはぶれませんでした」

 競輪選手よ、大志を抱け
 頂点を目指し、見合った努力を 

―すさまじい競輪人生ですね。
「すさまじくないですよ。勝負がうれしかったんです。もともとチームワークを大事にするバレーボール出身だから。チームになると燃えるんです。“打倒!中野”で結成された“フラワーライン”があったんですよ。競輪って同県や同じ地区でライン組んで、動くんです。でも、その県や地区を乗り越えて、打倒!中野に意気上がる仲間でラインができたんです。その時は一番燃えましたね。あ。フラワーラインってご存知ないでしょうが」

―知っています。房総半島のフラワー街道で鍛えた「フラワー軍団」のことでしょ。山口国男さんを総大将に滝澤校長のほか、清嶋彰一さん、山口健治さん、尾崎雅彦さん、吉井秀仁さんといったそうそうたるメンバーでつくった。
「そうそう。それぞれ自分の役割があるんです。1対1では勝てないけれど、ラインなら勝てるんです。だから、燃えました。ほら、やっと、中野さんと戦えるステージに立ったわけじゃないですか。デビューしてから、打倒中野ってずっと言っていたわけですから。競輪選手やっててよかったな、と思いました。アドレナリンでまくりでした。その頃はアドレナリンという言葉は知りませんでしたが。その勝負、一番オモシロかった。だから、どんな練習にも耐えられました。大きな壁に向かっていくのが好きなんです。中野さんが大きな壁だった。ぶつかりがいがあったのです。中野さんという存在があって、幸せだったなあと思います」

―なんだか、いい時代ですね。
「いい時代です。細かいところでは違いがあるかもしれませんが、競輪に対する姿勢など大筋ではみんな一緒です。私が競輪学校の校長になった時も、中野さんにいい言葉をもらいました。滝澤氏に期待することは何ですか、と聞かれたら、中野さんは、滝澤氏のように、人間努力すれば何でもできるということを生徒たちに伝えてほしい、と言ってくれたんです。中野さん、私を嫌なやろうだなと思っているでしょうが。だって、中野さんがグランドスラマーになるところをおれが阻んだわけですから」

―知っています。有名な平成4年の高松宮杯競輪の決勝ですね。雨の中、フラワー軍団が抜群のチームプレーで、滝澤校長が中野さんをかわし、タイトルを獲ったレースでしょ。
「あれはうれしかったですよ。でもね、中野さんがいたから、私はここまでなれたんです。純粋にね、“打倒!中野”の一点でした。いまだに“打倒!中野浩一”と書いたベンチプレス台は千葉の家にありますよ。黒いマジックで、汚いぐにゃぐにゃの字なんです。中野さんが取材で家にきた時、見せたら、笑っていました。井上(茂徳)さんにも見せました。もう大笑いしていました」

―ははは。いい話ですね。
「私にとっては、宝物です。その台と、“特別競輪制覇”と書いた練習日誌が。ほんと、志って大事だと思います。こうなりたいとか、こうなるとか。私は生徒に言うんです。自分の代わりがいると思ったらダメだよと。自分の代わりは自分だけだと思わないと、競輪界で生きていくのは厳しいよって。
志があれば、何でもできます。こんな時代だからこそ、大きな志を持って生きてもらいたいのです」

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―大志を抱け、ですね。そのために練習しろ、ですか。
「ただね、生徒のなかには本当に真剣にグランプリを優勝したいのかと思いますよ。目標を聞けば、グランプリ優勝とくる。でもあまり自主トレもしていない。それはグランプリに失礼でしょ。目標にあった努力をしないといけません。そこがまだ分かっていない。今は分かるわけがないかな。今分からないなら、将来、分かってから、グランプリ優勝って言ってほしいんです。そんな生き方をしてほしい」

―目標にあった努力ですか。
「どうせ競輪界に入るなら、頂点を目指してやってほしい。若い時は無鉄砲ぐらいがちょうどいい。いろんなことをやる前から、考え過ぎるんです。これをやったらどうなるんですか、と答えを先に聞きたがる生徒がいます。答えなんかわらかない。まず、やってみろと言いたいのです。これやったらけがをしてしまうのじゃないかなと思っても、まずやってみろって。
今は前をちゃんと明かりを照らしてもらわないと前に進もうとしない。人生の前って真っ暗で見えないでしょ。真っ暗でも突き進んでみろって。進んでいかないと、道なんてできない。後ろを振り返って、初めて道が見えるんでしょ。前に何があるかわからないけれど、突き進んでいくくらいの強さがないといけないんじゃないかと思います。
お客さんがびっくりするようなレースをしてほしい。そのためには人並みの練習ではダメですよ。人並み外れた努力をしていかないと。もうバカじゃないの。シンジラレナイ。こんな練習したら死んじゃいますよ、と言う人もいますけど、大丈夫、競輪の練習をやりすぎて死んだ話は聞いたことがありません」

競輪はペダルをこぐという単純なものだから、流した汗の多い人が勝つ。
そう信じて、努力を続ける。
練習して、強くなる。
それが怪物・滝澤正光の信念である。