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『学校は競輪への姿勢をつくる場~滝澤正光校長編③~』

2013/03/08

滝澤正光は競輪を生きている。 

選手時代、「努力」の二文字で肉体を人間でない“怪物”に造り変えた。圧倒的な練習量で不可能を可能にしてきた。流した汗を信じて走り、「先行」にこだわり、もがきにもがき、ファンを魅了してきた。
引退して、日本競輪学校の校長となっては、若者たちの指導に全てを傾ける。時代遅れと言われようが、やはり「先行」の大事さ、「練習」の尊さを訴え続けてきた。
競輪魂は衰えない。まっすぐな目、実直そうな風貌、腹の底からの笑い…。このありあまる熱は、愚直に必死で生きてきた人ならではの自信から放たれるのだろう。
インタビューを記事化する作業をしていたら、言葉を借り込むのがもったいなく感じるようになった。そうだ、これはもっと長く記録されるべきだと思うのだ。
2月某日。競輪学校の校長室で、滝澤校長に勝負哲学を話してもらった。

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志は高く 自分を信頼しろ 
 周りを驚かせるレースを

―成功のカギはなんですか。
「自分ができると思うことです。あの人ができたのなら、自分でもできると置き換えられることが大事だと思うんです。やっぱり、自分への信頼ですよね。競輪学校の時、すごく弱かったんです。だけど、自分の練習日誌の裏に“特別競輪制覇”と書いていた。特別競輪って今のG1です。真剣に獲ると思っていた。ものすごく勘違いができたんです」

―競輪学校には適性試験を受けて入学した。確か卒業時(43期)、自転車の成績は108人中42番だった。でも志は高かった。いつも日本一を狙っていたんですね。
「ははは。単細胞だったので。今なら口が裂けても言えないことを、しっかりと考えていたのです。特別競輪を獲ると本気で思った。同期生の強い選手からは“獲れるわけがない”と思われたでしょうが、私は思えたんです。そこで思える人と思えない人がいる。どこが違うんでしょうか。そりゃ努力しても願いがかなわないこともある。でもシンプルに自分ならできると思ったのです」

―成せば成る、ですね。
「その境目がどこだかはわからない。でも真剣だった。絶対なるって。そのためにはどんな練習でもしようと思った。他人が何時から練習すると聞けば、自分はその人の前からやる。人がびっくりすることが好きだった。こんな早いところから“逃げ切れない”と言われると、よしっ、そこから先頭に出て、逃げ切ってやろうと思う。みんながびっくりした顔を見るのが好きだったんです。遊び心みたいなものです」

―遊び心ですか。強くなりたいという欲求もあったのですか。
「もちろん、それもある。500バンクを1周半とか2周前から出ちゃった場合。普通ではそこから逃げ切れないでしょうが、実際、逃げ切ったら、“すげえ”と言われるだろうなって思っていたんです」

―逃げ切れない時もあったのですか。
「最初は結果が出なかった。出れば負け、競り合えば負け。でもいつか絶対できるぞ、と信じられた。周りの環境のお陰でもある。父親やそういう人たちのために強くならないといけないと思っていました。そういう人たちが周りに“いる”“いない”は、選手にとって大きな違いです」

ファンのサポートを己の力に

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―やっぱりファンのサポートも大事なのでしょうか。
「それはもう。ファンのサポートを自分の力に変えられるようになると、とてつもない選手になることができます。昨年の年末のグランプリの村上選手(義弘)。直前の練習でろっ骨を骨折してもレースに出たんです。グランプリは骨折していても出たい大会なんです。お客さんもそれを知って、村上選手を応援しました。そのお客さんの応援を力にして、村上選手は優勝したんです」

―雨の中の感動的なレースでした。渾身のまくりで悲願の初優勝です。
「感動を与える、そういう選手がもっと出現しないと(競輪界は)厳しいですよ。もちろん現役選手はみんな、一生懸命に頑張っています。これから競輪を目指す生徒にはそういう選手になってほしい。やっぱり生き様がレースに反映されるのです。生き様が」

―生き様っていい表現ですね。その人そのものですね。
「この前も神山選手(雄一郎)のインタビューをドキュメントで見たんです。年齢(44歳)もあって、特別競輪からちょっと離れてきた。でも、最近の特別競輪で3着に入ったんです。あの年といったら申し訳ないですけれど、あの年で特別競輪に乗ることだけでもすごいですよ。で、3着で満足している自分がいたんです。でも優勝を期待しているファンがいる。3着でホッとしている自分を見た時に、これじゃまずいなと思ったそうです。これで階段をひとつ、上ったとみています」

―ファンの力は偉大ですね。
「自分の気持ちだけを追いかけていたら心が折れますよ。ファンの方の力をとり込んで、エネルギーに変えていかれる選手は強いですね。だから、周りが大事です。人間関係、応援してくれるファン、支えてくれる家族とか。そういうパワーをレースに乗っけていける人、反映できる人がいたら、大きくなります。
もちろんおカネを稼げば、全部、自分のところにきます。新聞を見たら、また別のベテラン選手が頑張っていました。優勝後のインタビューで、ファンの声援で、がんばる気になりました、と言っていた。私も(現役)最後の方は、そうでした。若い頃は自分勝手で、人間として未熟だったんです。
年取って、ファンの声援のありがたみを改めて知りました。現役最後の数年は、そこが生きがいでした」

―お客さんの力は無限大です。
「お客さんが喜んでくれると、調子に乗っちゃうからね。もともと調子に乗るタイプですから。ははは。お客さんも強い選手を求めている。自身の背景からも、ファンを引きこんでいけるような選手がこれからの競輪界をひっぱっていってほしいですけど」

―そういった意味では、自分の考えをしっかりファンに伝えることも重要ですね。
「自分の生きてきたことをメディアに伝え、感じとってもらう。そうなると、お客さんの選手への思い入れも強くなると思います」

熱血指導。
自分を越える選手を育てる

―校長の指導はいつも熱いですね。
「でもね、ちょっと熱くなり過ぎる。熱すぎて、生徒と温度差があるのでしょう、たぶん。生徒がアゼンとしちゃうんじゃないでしょうか。でも生徒を信じているんですよ。今までなら考えられないような練習を課しているわけです。生徒に言います。将来、競輪学校の練習があったから、今があると思えるような練習を体験してから(学校を)出てくれと」

―生徒への期待は。
「当たり前ですけど、自分を越えてもらいたい。もう現役を辞めているわけです。そうなると、自分の次の目標は、大変生意気ですが、自分を越えるような選手をつくることになります。育てたい。正直、そんな気持ちがあります。自分の魂がもう一回、そこで生きられるんじゃないですか。自分の競輪への思いが生徒に乗り移っていくんです。もちろん、その人、その人の競輪人生です。ただ、いつか、あの時、校長がこんなことを言っていたな、と思い出してくれればいいんです」

―校長にとっても、生徒にとっても、濃密な1年間ですね。
「やっぱり1年間という短い時間ですから、そこで急激に強くなるというほど簡単なものではありません。ただあの時の練習があったから、自分は頑張れるという財産をつくってほしいんです。競輪学校って何が教えられるのかというと、競輪に取り組む姿勢とか、心構えとか、そういうものなんです」

―なるほど、姿勢ですね。確かに学校では技術や体力アップも図りますが、練習する癖みたいなものが重要なのですね。
「1年なんてあっという間ですよ。私なんか、30数年前ですから、ここを出たの。でも競輪学校の1年間は鮮烈に覚えています。今だに、インパクトは強い。この1年間は、競輪選手にとって、とても強烈な時間です」

―そういえば、競輪学校時代、校長は2度しか外出しなかったそうですね。1度目は落車でケガした友人の見舞い、もう1回が隣の日本サイクルスポーツセンターに行って、同期の仲間と自転車で遊んだそうですね。
「そうです。あとは全部、休日は自主トレしていました。今の生徒は外出できる時はうきうきしています。でも自分は外出しようなんて思わなかった。全部自主トレにあてるつもりだった。そうしないと、(体力テストによる)適性試験で入った者は、普通にしていたら(技能組に)追いつけないと思っていました。だから、とにかく人より多く練習しようと決めていたんです」

―学校では練習ばかりですか。
「だってグリップバンド(ペダルにレーサーシューズを固定するバンド)をうまく締められないんですから。あと、おそるおそる(バンクに)入ったら、技能組の強い生徒から“適性、おまえら外を走っていろ”と言われたりしました。まだ適性が始まって、5回生目だったから。ただ練習するしかなかった。技能組に追いつきたいと。“見返してやろう”とかは思いません。とにかく強くなりたかったんです。強くなりたい、強くなりたいといつも念じていました。そのためには、練習、練習、練習だったんです」