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『夢は逃げない、逃げるのは自分』 ~倉野由紀

2013/02/09

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「夢は逃げない、逃げるのは自分」。そう肝に銘じ、倉野由紀はペダルをこぐ。歯を食いしばり、頭を回転させながら。
「さんさんバンク」(333㍍ピスト)の競走訓練だった。1月某日。寒風を突き、倉野は懸命に前に出ようとした。でも出られない。
そのままゴールする。訓練後のインタビュー。19歳は顔に悔しさをにじませた。
「自分の思ったレースができませんでした。なんか、だらだらいってしまって…。中途半端になってしまった」
きっと照れ屋で頑固。笑い声を発しながらも、目はちっとも笑っていない。シャイなのだ、繊細なのだ。誠実なのだ。
「どっかで自分の見せ場を作れるようにしたいんですけど…。迷いのないレースをしたい。レースをすると、ダメなところがいっぱい見つかってくる。なんか、成長しているのかな、と不安になります」

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葛藤はある。悩むということは成長している証拠でもある。学校生活での試行錯誤、そこから導かれた確信や反省、つまり失敗の経験はことごとく成長に反映されることになる。ガールズケイリンのプロデビューに向け、少しずつ、階段を登っている。
「同じことを繰り返さない。そのこともいつも、心がけています。柔道していて、練習でけがばかりしていて、からだをコワしてしまったので…。同じようなことはしたくない。ケイリンのレースでも失敗したことを繰り返したくないんです」

柔道から競輪へ
日本一になりたい
「柔道一直線」の青春だった。
三重県松阪市出身。小学校2年の8歳の時から柔道を始め、小学校6年生の時、全国大会でベスト16に入った。冗談口調で笑う。
「もううなぎ登りで強くなって…。小学生の時がピークでした」
柔道で誘われ、豊橋市の桜丘中学校に入り、桜丘高校に進んだ。インターハイ(全国高校総体)でもベスト16まで勝ち進んだ。愛知に倉野あり、と言われたけれど、どうしても準々決勝の壁が破れなかった。
「なぜかベスト16止まりで上にいけなかったんです。どっかで殻を破りたい。もっともっと強くなって、もうひとつ上のステージにいきたいんです」
高校の柔道部の練習で、先輩でアテネ五輪、北京五輪の連続金メダリストの谷本歩実さんに指導を受けたことがある。迫力があった。すごく大きく見えた。
谷本さんは努力でトップに登りつめたタイプである。苦労を力に変え、ある時、ぐんと強くなった。そんな生き様に憧れる。
「絶対、あきらめない、と言っていました。だから、わたしも絶対、あきらめない」

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転機は高校3年生の時である。
それまで競輪への興味はあった。兄の隆太郎(91期)は競輪選手。一度、その兄のレースを四日市競輪場に観戦にいったことがある。
「すごいスピードで走っていた。レースを見ながら、人間ってこんなに速く(ペダルを)こげるんだって。興奮しました」
父の巌(いわお)さんは大の競輪ファン。倉野の一番の理解者、かつ「応援団長」でもある。「なんだかアニマル浜口さんみたいなんです」と楽しそうに漏らす。
その父が「ガールズケイリン」スタートを知ると、「ガールズケイリンが始まったぞ」と転向を薦めるようになった。
「柔道の試合で勝つと、“いいぞ、がんばれ、がんばれ”と言われるんですけれど、負けると、“おいガールズケイリンがあるぞ”って。ははは」
柔道を始めて10年。柔道選手としての限界を少し感じていた。やり切った感もあった。高3の7月。インターハイの個人戦予選で敗退した時、これで柔道には区切りをつけることにした。心機一転、競輪にチャレンジすることに決めたのだ。
倉野は女子柔道部のキャプテンだった。8月には全国大会の団体戦が残っていた。でも決めるとすぐ行動に移す。7月中旬。監督に「柔道は辞めて、競輪に挑戦します」と自分の決断を伝えた。
「チームには申し訳なかったのですが、早く練習を始めないと、ガールズケイリンの試験に間に合わないと思ったのです」
父は喜んだ。師匠となる兄に「競輪挑戦」を伝えると、こう言われた。「やるならちゃんとやれよ」と。
無論、ハンパな気持ちはない。悩んで悩んで悩み抜いて決めた結果だった。
「その時思ったのが、“日本一になりたい”ということでした。柔道では日本一にはなれなかったので、今度こそ、競輪では日本一になりたいと思ったんです。夢なんです、日本一になることが」

勝って、父を泣かせたい 
 自転車のことは知らないけれど、柔道で鍛えた足腰の強さはあった。高校を卒業し、競輪学校に入った。毎日が充実。「みんなについていくのが必死でした」と振り返る。
「もどかしいです。一生懸命にやっているんですけれど、まだ頑張りが足りないんです。もう少し、自分を追い込まないといけません」
まずは目標が卒業記念レース。
「この1年、やってきたことを全部、レースで出したい。力を出し切って、笑って卒業したいな、と思います。決勝には乗りたいです。見せ場をつくりたい、どこかで」
何度も口にした。「見せ場をつくる」と。つまりは存在感。自分ならではの走りにこだわりたいと言う。そのために鍛練を積む。地力をつけるのである。
日本一になるための課題は多い。何より、「知己」である。自分を知ること。コンディショニングといってもいい。
「まだ調整がうまくいかない時があります。自分のからだのことをよくわかりきれていないんです。うまく調整ができたと思っても、タイムがよくなかったり…。自分のことがまだよくわかっていないんです」
年明け、倉野はホームシックにかかった。年末年始の帰省で親元に戻って、家族で旅行に出かけた。両親の愛情に触れ、がちがちの緊張感が少し緩んだのだろう。
「(帰省期間が)充実し過ぎて、学校に戻ると、がーっと一気に環境が変わった感じがしたんです。なんだか、急に寂しくなって…。精神的にちょっときつかったかな」
人前では泣けないので、夜、布団をかぶって泣いた。その時を思い出しながら、無理に笑顔をつくって、おどけてみせる。
「もうダメだと思った。泣きながら、帰りたい、帰りたいよ、って。はっはっは」

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まだ19歳。初めて親元を離れた学校生活は過酷である。寮から父に電話をかけた。父からはこう励まされた。「もう少しの頑張りだ。夢を持って入学したんだから、ちゃんと夢を持って卒業しろ」と。
もう弱音は口にしない。訓練にも集中できている。学校生活も楽しい。
「父は、ちょくちょくいい言葉を言ってくれる。最近、泣かずに笑顔でいられます。ははは。とっても元気です」
趣味はウインドショッピングと料理。母と一緒によく、キッチンに立っていた。意外といったら失礼か。得意料理は?
「ハンバーグかな。かわいい系の」
繰り返す。夢は日本一。
「若い力でガールズケイリンを盛り上げたいですね」
他には? と聞けば、倉野は少し考え、目元を緩めた。いかにも楽しそうだ。
「家族で旅行にいきたい。親に家を建てて上げたい」
孝行娘は考える。父から「おまえの親孝行は競輪のレースで勝つことだ」と言われている。ならば、勝つしかあるまい。
卒業記念レースに父はくるだろう。
そこで勝てば。
「父はよっぽどのことがないと泣かないんです。そんな父を泣かせたいですね。へへへ。どうです? いいでしょ」
倉野が見せ場をつくる。
なにやら父のバンザイのシーンが浮かんでくるではないか。