プロデビューを目指す競輪学校生徒サイト

『笑顔の「全力」。努力の田中まい』

2013/01/06

20121213_60G1027.jpg
恐怖の登坂訓練である。 



                 ::
 ・・    

登坂は「とはん」と読む。平坦な直線コースが200㍍続き、標高差20㍍、傾斜14度の80㍍を駆けあがる。下からみれば、絶壁のごとく、急坂がそびえ立つ。
師走某日。西日が傾く中、田中まいが一気に助走で加速する。白い車体が線をひく。でん部をサドルから持ち上げ、全身の筋力でペダルをこぐ。残り20㍍。歯を食いしばり、さらに脚先に渾身の力を込めた。
よろよろとふらつきながらも、無事、登り切った。一緒に走った同僚に最後追い上げられ、同着だった。教官から、「抜かれそうになったじゃないか」と声を掛けられると、田中はジョークをぼそっと返した。
「デブですから」
この余裕。どんなにきつくても笑顔が消えない。聞けば、スタート前、同走者に「今日は調子がいいし、もし自分が負けたら体重が重いせいだから、反省してやせるわ」と言っていたらしい。
「だって、負けはしなかったんですが、最後に急激にたれたんで…。ははは。反省してやせます」

20121213_G4C1969.jpg

いつも、笑顔で「全力」。仲間と笑顔で楽しく頑張る。途中で転倒する生徒もいたが、田中は4本、パワフルに登り切った。日々、成長を実感する。
いい顔つきだ。充実感があふれる。
「無我夢中でペダルをこいでいます。頭が真っ白。きのうより、脚力がついた。というのはあります」
過酷な一日の訓練が終わる。登坂コースから、自転車に乗って格納庫に戻る。雪に覆われた富士山は夕日に赤く染まり、遠くの山際がオレンジ色に光っている。カラスの鳴き声。田中は、この時間が好きである。
「みんなと切磋琢磨してやれているのが、楽しいし、うれしいです。訓練の帰り途、夕日や皆の背中が見えて、きょうもみんなと頑張れてよかったなあ、と思うんです。あしたも頑張ろうって。」
クリスマスが誕生日の23歳。笑顔であれば、どんな壁も乗り越えられる。

負けず嫌いは父親譲り
父の進さん(36期)は元競輪選手である。
千葉出身。田中が中学校3年生の時、父は競輪を引退した。田中が述懐する。
「父がプロだった時は競輪って見るのもイヤだったんです。命がけで走っている姿がコワくて。テレビで落車シーンとかよく見た。なんで、そんなに必死で走っているんだろうって不思議でした」
田中は中学時代、バレーボール部に入っていた。スイミングクラブにも通っていた。父の母校でもある千葉経済大学付属高校に進学し、放課後、とりあえず父の娘として自転車競技部にあいさつに行った。
「そうしたら、すごく自転車部に誘われたんです。やりなよ、やりなよって」
どうしようか迷った。自宅に帰り、父に勧誘されたことを伝えた。父から田中にぴたりあったサイズのロードレーサーを見せられ、「乗ってみな」と言われた。
自宅の周りを走ってみた。生まれて初めてのロードレーサーだった。
「軽い気持ちで乗ってみたら、ふだん乗っている“ママチャリ”と全然、違ったんです。何か、ひと踏みで、スースースーと進んで。それが楽しくて」
父に「自転車、やろうかな」と相談したら、笑いながら「やめとけ、やめとけ」と言われた。自転車の厳しさを知っているからだった。「もうやることに決めたからやります」と意固地になったら、「好きなようにしなさい」と返ってきた。
父は内心、うれしかったのだろう。翌日には、いろいろ買いそろえてくれた。知り合いの選手から、競技者用の自転車を譲ってもらってくれた。親のやさしさが身に沁みた。
そういえば、インタビューした日の前夜、父の進さんが競輪学校にやってきた。田中の帰省に際し、大きな荷物の引き取りだった。顔立ちが親子そっくりだった。
ちょっと似ていますね、と言えば、田中はほおを膨らませた。
「エッ。いやです」
20121212_60G0001.jpg
古い記憶がよみがえる。
「競輪場にいったら、“もしかして、田中進さんの娘さんですか”と言われたことがあるんです。すぐに親子と分かって。似ているんですね。ええ。いや。恥ずかしいです」
負けず嫌いは、父親譲りなのだろう。日体大でも自転車部に入り、昨年6月の全日本女子3K個人追い抜きで優勝した。が、9月のインカレでは同種目で優勝を逃し、どん底を味わった。悔し涙にくれた。
「その会場でわんわん泣いて、家に帰ってきても毎日、泣いて…。もう人生終わったみたいに落ち込んだ。気分転換に散歩に出ても泣いて…。何をしてても泣いていてばかりいた思います」
もう自転車に乗ることはやめようとまで悩み苦しんだ。インカレの直前の8月に競輪学校の入学願書を出していたけれど、自転車と向き合うのがつらかった。10月に試験は受けた。まだ気持ちが盛り上がらなかった。
そんな時、日体大の自転車部の西山哲成監督から喝を入れられた。信頼する師の言葉が心に響いた。「田中には自転車しかないと思うぞ」と。そうだ、と思った。
もっとも大学卒業後、千葉に帰って、ひとりで自転車の練習をしていたら、再び気持ちがふさいだ。父を見てプロの競輪の世界の厳しさを知っている。競輪学校では自由がなくなる。そんな世界に自分が飛び込んでやっていけるのかどうか、不安になった。
その時は日本競輪選手会の千葉支部の支部長から「がんばれ」と檄をもらった。振り返れば、悩むたび、父や監督、支部長が応援してくれた。いろんな人に助けられて今がある。幸せだな、とつくづく思うのだ。

「努力」モットーである。
競輪学校の訓練は目下、皆勤賞。ケガもなく、朝の錬成訓練も休んだことがない。恐怖の145段の階段登りも好きなのだ。自転車がつらくなったら、階段ダッシュを繰り返す。
「きっとMですね、わたし」
どこかユーモラス。おっとりした雰囲気があるが、自転車にかける勝負魂はだれにも負けない。トレードマークが天然パーマと聞いていたら、この日は普通の髪だった。フツーですね、と言えば、えへへと笑った。

20121212_G4C1387.jpg

「じつは風呂に入って、ドライヤーで必死で髪を伸ばしてきましたんです。髪、ストレートにしたい」
競走訓練では「先行逃げ切り」にこだわっている。周回練習では、だれよりも大きな声で残りの周回数を発する。なぜ。
「自分で気合を入れることもあるけれど、周りにもアピールしたいんです。みんなで頑張っていこうぜ、みたいな。きつい時、あぁまいさんが頑張っているから、私も頑張らなきゃと思ってくれればって」
とにもかくにも、人生、後悔したくない。自転車を嫌いになるまで自転車人生に没頭したい。夢は「ガールズグランプリ優勝」。プロで初めてもらった賞金では両親にペット用の犬を買おうと決めている。
「このあいだ、犬が死んじゃったんです。だから、犬をプレゼントしたいんです。種類はパグかな。喜んでくれたらいいけど」
当然、喜んでくれるに決まっている。両手でほっぺを押し上げ、さらに言葉を足した。
「喜ばせたいですね。ワガママ言ってばかりで、いっぱい迷惑かけてきたので」
好物は焼き肉。とくにロースとホルモン。尊敬する人物は「滝沢正光校長とイチロー」。音楽のマイブームは「ファンキーモンキーベイビーズ」。
目指すは先行。ガールズケイリン一期生の加瀬加奈子みたいな「熱い走りをしたい」という。ファンを熱狂させるような走りを。
「うふふふ。人前に立つのは苦手なんですけど、じつは目立ちたがりなんです」
笑顔で「全力」。まいが走る。そのチャレンジは、たぶん、競輪ファンの心を大きく揺さぶるだろう。