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五輪出場と競輪を極める。京王閣の小悪魔 ~石井寛子

2012/11/15

 銀メダルが光っていた。
 10月11日。中南米コロンビアのカリ。自転車トラック種目のワールドカップ(W杯)で、石井寛子はロンドン五輪代表の前田佳代乃と組んだ女子チームスプリントで2位にはいった。トラック女子種目の表彰台は日本初の快挙だった。
 漆黒の髪。石井がチャーミングな顔をくしゃくしゃにする。声がはずむ。

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 「すっごくうれしかったです。メダルもそうですが、タイムが縮まったことがうれしくて。自己ベストの日本記録でした」
 記録にこだわる。根っからのアスリートゆえであろう。負けじ魂の塊。窮地に力を発揮する。じつは予選のあと、決勝の前に左足の太ももに軽い筋断裂を起こした。アイシングをして痛み止めの薬を飲んで、テーピングテープをまいて決勝レースにのぞんだ。
「足の太ももの裏をぶちっと切って。監督におこられました。でも、なんとか試合に出た。そういえば、わたしってピンチに強いと思います」
 黒いポロシャツ。26歳の右腕には古傷の跡がのこる。かつて中距離のポイントレースをやっていた頃は、集団走行だから接触がおおかった。年に5回ほどは落車していた。

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「落車のからだの傷を治すのが得意なんです。コツは傷口をきれいにしてから、陽に当てず、密封状態にしておくんです。最近はこけませんが…」
 ふっと笑う。
「痛みや苦しみに強いのかな。ま。根性はあると思います」
 どちらかといえば、感情を表に出す方ではない。闘志を内に秘めるタイプか。高校から始めた自転車一筋。ガールズケイリンを目指す競輪学校2期生(104回生)のエース的存在である。
 取材日の午後。通称「サンサンバンク」の3.3バンク(一周333.3メートル)でのエリート教場(クラス)の周回特訓だった。白地にレインボーカラーの石井は黙々とペダルを踏み続けた。
 オートバイの先導のもと、5車がひとつのラインを形成して走る。白いラインの内外線間をキレイに流れていく。石井は黒い車体、ひじを伸ばし、頭を下げて上目づかいに前方をにらみつけている。

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 神経を研ぎ澄ましているのだろう、からだ全体から覇気が漂っている。
「富士山? 周りの風景を見る余裕はありません。空気抵抗が一番気になるので、風の方向を意識して、無風のところを常に探して走っています。前の人にいかにくっつくかです」

誰にも絶対、負けたくない

 素朴な疑問。
 自転車のトップクラスの選手でありながら、なぜ昨年の女子一期生で入校しなかったのか。
 いろんな方にも聞かれました、と石井は少しはにかんだ。
 「ことしロンドン五輪があったからです。その1年前って大事な時期なので…。学校に入ってしまうと、オリンピックに出るという夢が難しくなりそうだったからです」
 とにかく昨年はロンドン五輪に向けて自分の練習に集中したかったのである。結局、ロンドン五輪にはいけなかった。でも五輪代表につながるポイント獲得には貢献した。
 次の2016年リオデジャネイロ五輪は、との思いはつよい。
「次は競輪をしながら、競技(五輪)との両立を目指します」
 ロンドン五輪に向けたナショナルチームではガールズケイリン一期生とも一緒に練習していた。どうしても、ライバル心が頭をもたげる。
「絶対、負けたくないです」

 やっと出た、一番時計。

競輪学校の訓練は厳しい。一番のつらい記憶は6月の「TE」だった。滝沢正光校長が自ら指導するエリート教場(クラス)のことである。男子選手に交じって、石井ら2人もTEにはいっていた。
その日は3.3バンクの「乗り込み」。男子と一緒に100周を2回、走った。石井は二回目の途中、腰を痛めてリタイア。
顔がゆがむ。
「全然だめでした。がんばろうと思えないくらいつらかった。苦し過ぎて…。きつすぎた思い出です」
経験は宝である。体力不足を痛感し、スピードとパワーのアップにも励んできた。駆け引きやテクニックは自信があるが、スピード自体には苦手意識があった。
競輪学校の教官からも「タイムをもっと出せ」と叱咤されてきた。努力は裏切らない。9月下旬の第2回記録会。石井は200メートル、400メートルともタイムトライアルで“1番時計”をマークした。

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「“やっとタイムが出た”という感じです。最初のころはギアが軽かった。第二回記録会はギアの上限が大きくなって、うまく駆けられるようになった。ナショナルチームの時の練習と、記録会のギアがマッチしていたのでイケたのです」

親に感謝 鳥人間コンテストにも挑戦

 三人姉妹の2番目。妹の石井貴子も一緒に競輪学校に入校した。
埼玉の杉戸農業高校に入学し、自転車競技部に入部した。母親と姉に相談したら、ふたりとも「ヒロちゃんは絶対、自転車が合っている」と背中を押してくれたからだった。
「オモシロかった。やればやるほどタイムが縮んでいった。女子は人数が少なかったのもありますけど、練習をそんなにしていなくても、大会で結果が出たんです」
明大に進み、コーチと出会って、五輪を目指すことになった。大学卒業後は、「スポンサーは親でした」と小さい声で漏らす。
「そのうち(ガールズケイリンで)稼いで、親に返したい。なんでもしてあげたい」
ガールズケイリンのエキシビションレースで優勝を重ねてきた。実力はホンモノである。ホームバンクが京王閣競輪場。人気も博し、ファンからは『京王閣の小悪魔』なんて呼ばれている。
余談をいえば、夏、話題の「鳥人間コンテスト」にも出場した。芝浦工大パイロットとして、「人力プロペラ機ディスタンス部門」で同じ競輪学校2期生の明珍裕子と一緒にペダルを踏んだ。
「飛べ~って思った瞬間、ふわっと浮いた。鳥になりました」と笑う。
「でもペダルをこぐ力がしんどくて…。きつ、きつい、無理、無理って。湖に落ちてから死にそうでした。ぶくぶく沈んでいって…。わたしカナヅチなんです」

目指すは、強すぎるギャルちゃん

あくまで自然体。話すと、どこかユーモラスな空気が漂う。趣味が睡眠。「横にごろんとなるのが好きです。12時間ぐらい平気で寝ています」。モットーは「継続は力なり」。
ナショナルチームの合宿でよく同室だった自転車兼スピードスケートのベテラン田畑真紀選手を尊敬する。
「朝と夜、必ずストレッチに30分かける。自己管理がしっかりして、練習の追いこみもハンパじゃない。ステキだなって」
じつは石井も照れ屋でストイック。リオ五輪、さらには2019年東京五輪を夢見る。
「地元の大会のケイリンで優勝したい。東京五輪って何歳かナ? 34歳。 ちょうどいいですね」
ネットでは「美し過ぎる競輪選手」と書かれた。美し過ぎる、と話題を振ると、二重マブタの目を緩め、しきりに照れた。
競輪学校では化粧禁止。卒業後のイメージが膨らむ。
「もう化粧して、ギャルちゃんですね」
美し過ぎる、いや願わくは、いずれ「美しく強過ぎる競輪選手」と呼ばれてほしい。