プロデビューを目指す競輪学校生徒サイト

『志高く。コツコツ...継続は力なり~杉沢毛伊子』

2012/11/27

勢いにのるハマちゃんが疾走する。
ペダルを回す。上体の背を丸め、シャニムニ、ペダルを回す。
はやい。はやい。
日本競輪学校そばの屋内250㍍板張りトラックの『伊豆ベロドローム』。コーナーの最大傾斜は45度もある。
当然ながら、選手たちに躊躇はない。突っ込む。

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コワくないのか。素朴な疑問をぶつければ、ハマちゃんこと杉沢毛伊子は小さく笑った。
「最初はやっぱりこわかった。でも、こわがってもしょうがないと思うようになったのです。集中することだけに意識して入りこんでいく。いまはスピードを楽しんでいるような感じなんです」
教官が計った500㍍のタイムを教えてもらえば、杉沢がトップだった。「たまたまです」と謙遜しながらも、じつは成長しているという手応えがある。
何が変わったのか。「自信」だろう。自信がないと不安でタイムも伸びない。が、自主練習で追い込んで自分を信じることができれば、タイムも違ってくる。
「自分と向き合う感じで走っている。とことん練習をしているので、それがどういう風に表れるのかと楽しんで走らせてもらっています。(練習を)やった分だけ、(タイムに)出ている感覚があります」

11月7日、27度目の誕生日を迎えた。誕生日の翌日には沼津の先まで自動車免許の更新手続きにいった。取材はその日の午後だった。学校に戻ると、急いでベロドロームの訓練に合流した。
「きょうはばたばたしていたので。練習中に足がつってしまいました。ははは」
笑うと、あどけない笑顔になる。二重マブタ。157㌢。失礼ながら、27歳には見えない。年より若く見られませんか、と聞けば、ころころとまた笑った。
「はい。幼くみられます。お酒をコンビニで買う時は必ず、(レジ画面の成人確認の)指差し確認をさせられます。もう慣れているので、ま、いいかなって」

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ところで、ハマちゃんの由来は高校のバスケットボール時代の「コートネーム」だった。どことなく雰囲気の似ている『釣りバカ日誌』の主役のハマちゃんではなかった。
「型にハマらず、ユーモアのあるプレーヤーみたいな意味でした。わたし、型にすごくはまっていたので」

 すべては必然。

運命である。
自分の半生を振り返れば、「すべてが必然だったのかな」と思うのだ。

静岡県富士市出身。小学校3年生からミニバスケットボールを始めた。中学、高校ではバスケットボールに没頭した。インターハイ(全国高校総体)にも出場した。オールラウンドのプレーヤーだった。
大学は千葉の和洋女子大学。ここでもバスケットボールに熱中したが、4年生の時、右足の前十字じん帯を切ってしまった。「ちょっと競技がこわくなった」。リハビリの後、アシスタントコーチとして部活を終えた。
大学卒業後、スポーツから離れた生活をしたくなり、IT関連の企業に入社した。毎日、パソコンと向き合う生活。パソコンのキーをたたく真似をしながら、真顔で言う。
「なんか、ずっとこういう感じだったので…。これは違うなって。全然、自分に合ってなかった。やっぱり私って動かないとダメなのかって思ったんです」

そういえば、高校2年生から、部活の傍ら、著名な小山裕史トレーナー発案の『初動負荷トレーニング』のスポーツジムにも通っていた。大学のそばにも提携施設があり、社会人になっても、そのジムでからだだけは動かしていた。漠然と「将来、初動負荷トレーニングの指導者になるのが目標」と考えていたからだった。
IT企業に入って半年、知人から、故郷の静岡にジムの提携施設がオープンし、トレーナーを募集しているという話を聞いた。
「ピ~ンときた。もう私しかいないんじゃないかって思ったんです」
IT企業に辞表を出し、トレーナー募集に応募した。合格し、本拠の鳥取で半年間、指導員養成のトレーニングを受けた。

ガールズケイリン挑戦には伏線がある。大学時代、杉沢が通っていたジムにプロ競輪選手も大勢、きていた。とくに中村浩士選手のはつらつとした生き方にあこがれた。
「ああ、こういう世界もあるんだ、と。女子もあればいいのに、と思っていたのです」

一昨年、『ガールズケイリン』のスタートが発表された。すぐに応募したかったけれど、静岡のジムへの恩義もあるから、3年間は働くことにした。一人っ子。競輪学校に入るためには、自分を大事に育ててくれた母を納得させる必要もあった。
もうひとつ、契機があった。昨年3月、軽自動車で交通事故に遭い、九死に一生をえた。事故直後、目が覚めたら、ぶつかったトラックの荷物の鉄パイプが頭のすぐ横に伸びていたそうだ。
「奇跡的にけがが全然なかった。母が、“日常生活でも何が起こるか分からないから、自分のやりたいことをやりなさい”と言ってくれたのです」

ということで、女子ニ期目の生徒となった。人生いろいろである。でも。
「ここ(競輪学校)にきて、自分がなぜからだを鍛えていたのかという答えがわかった。すべては必然的かなと思っています」

 富士山でいえば2合目

  努力して努力して努力して 

どちらかといえば、不器用なタイプである。だから「コツコツと努力する」。モットーが「志高く」と「継続は力なり」である。
記録躍進のきっかけは9月の第二回記録会だった。杉沢はひどいタイムだった。どん底だった。
「一番下のグループの最後から2番目のタイムでした。いろいろと試行錯誤している時だったんです。何でだろう、何でだろう、と、考えていました。で、落ち込んでもしょうがないと吹っきれたのです」
その時の杉沢は悪いタイムを自転車のセッティングのせいにしていた。でも違うのだ。周りのせいではない。自分の練習不足、気持ちの甘さのせいだったのである。

何より訓練に向かう姿勢が変わった。

「訓練が大変だから、からだを休ませよう休ませようと気遣い過ぎていた。そうじゃなくて、もっと追いこんだ方が調子は上がるんです。やっぱり限界に挑まないとダメなんです。バスケットも自分に甘えて極めることができなかった。もう逃げたくない」
ひとつ、殻を破ったということだろう。いまは訓練の厳しさを楽しむ自分がいる。

「努力して、努力して、努力していくタイプです。努力をとると何も残りません」かわいい目には強じんな意志が宿る。目標は、師匠の望月永悟選手。「努力」が背骨を貫く。
ガールズケイリンとは。
「まだ自分はレベルが低い。ただ(ガールズケイリンは)見せるスポーツでもあると思っています。お客さんが見にきてくれるような選手にならないといけないというのが大前提にある。だから努力しないといけない」

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ずっと体育会系だったせいか、酒はイケる口である。定番は芋焼酎の濃いめのお湯割り。趣味が釣り。ご飯が大好きである。
ついでにいえば、においにはうるさい。寮の部屋には幾種類もの香りの洗剤を持っている。単色のごとき学校生活をにおいで色付けしているのである。

ずっと富士山をみて育った。では、てっぺんをガールズケイリンの極みとすると、ただいま、何合目あたりか。
「2合目あたりですか。土台を固めているところです」
肩をすくめ、いたずらっぽく笑った。右手をぐるぐる回す。
「もう上り方はぐるんぐるんだと思います。上がったり下がったりするんですけど、ちょっとは伸びているという感じですか。ただ絶対、頂上まで登ろうと思っています」

小さきからだに大きな志。ハマちゃんは自分の人生をコツコツと歩いていく。